(続)言葉の呪縛?

 学問の世界や法律の世界では、特定の専門用語や法律用語にきちんとした定義を設けています。これによって学問であれば議論や研究を進め易くしていますし、法律の世界では秩序を保つ基準としています。しかしこの世界では、その言葉の用法にしっかりとした客観性を持たせることが大前提ですし、その是非には多くの議論を費やしているのです。新語、流行語の持つ利点や言葉の持つ呪縛力を、正しい方向に生かす為には、如何に個人の主観を排して客観性を持たせられるか、と言うことが大切なのではないでしょうか?

 「いじめ」や「体罰」と一言で言って、誰かが誰かに触れただけでも、これらの言葉を持ち出し、直ぐに批判の対象にするという風潮は、絶対に避けなければなりません。このようなことを放置すれば、批判を恐れるあまり、人々の行動や考えに「事無かれ主義」を生み、更には社会全体のモラルが低下するという悪循環を生み出してしまいます。
 
 「援助交際」なんていう言葉が流行り、本来なら犯罪行為と変わらない行為が、まるでそれが若者のライフスタイルの如くに面白おかしく取り上げられる風潮も許しがたいですし、「公園デビュー」や「お受験」なんて言葉も不愉快極まりない言葉ですよね?そんな言葉に特別の意義などあろう筈もありません。皆さんそうは思いませんか?

 「言葉による呪縛」の問題の怖いところは、それを意図して新語が生み出され、知らず知らずに情報操作され、人々が洗脳さてしまう危険性まであると言う問題です。

 しかし良く良く考えて見ると、私達の身の回りにはこれらと同じような言葉の呪縛が沢山あって、気付かぬうちにその呪縛に捉えられているってことが現代社会には満ち満ちていますよね。これは決して人ごとでも、笑い事でも無いかも知れませんね?気をつけましょう。

                                            By 純一郎
[PR]
by m_tanijyun | 2003-12-21 11:39
<< 3以上は沢山? 言葉の呪縛? >>