3以上は沢山?

未開の地に住む種族の中には、3以上の数字は存在せず、それ以上は皆「沢山」と言う言葉で済ませてしまっている種族が居ると言う話を聞いたことがあります。あははは。これって本当でしょうか?まぁ、ことの真偽は別として、このような逸話は、主として彼らの文明の発達の遅れを示す話として語られ、決していい意味ではないのではないかと思います。しかし私は、チョッと違った視点からこれを考察してみたいと思います。

 確かに、数字や数値と言う概念の存在は、数学と言う学問の発達の証ですから、3以上の数の概念を持たない彼らには、数学などという学問は無いのでしょうし、およそ学問と呼ばれるようなものは無いに等しいのかも知れません。しかし、見方によっては、彼らの方が肉体的なサバイバル能力は勿論のこと、いわゆる「生活の知恵」と呼ばれる「生きた知識」に関しても、我々よりも数段優れているとも言えますので決して侮れません。
 逆に言えば、我々文明人は道具の発達の恩恵に頼り過ぎていて、自らの基本的能力を退化させつつあるとさえ思うのです。その話は以前にも致しました。更に言えば、文明の発達により得られた道具を駆使するあまり、道具により得られる能力を、自らの獲得能力と誤解している節さえ感じてしまいます。嘆かわしいことです。これについて話し始めると限がありませんので、別の機会に譲ることにしましょう。

 閑話休題:最初にお話しました「3以上は沢山」と言うことに話を戻しましょう。彼らがそういう考えをしていて支障無く生活しているのは、彼らが単に無知であると言うよりも、むしろ実生活で3以上の数字が持つ重要性や必要性が無いからではないでしょうか?その意味からすればとても合理的な考えであり、文明社会に住む我々も、よくよく考えてみると、現実的には彼らと大して変わらない思考方法をしていることが案外と多いとも言えるのです。

 北海道に住む人にとっては、九州は南の方の島で、いわば一塊(かたまり)の場所ですし、反対に九州の人にとっては、北海道は酪農が盛んで、魚介類が豊富な北の外れの島と捉えている人が多いのではないでしょうか?大変申し訳ないのですが、地理に関心の薄い私にとっては、東北も北陸も関西も、山陰山陽も四国も九州も、それぞれ一塊の括りで捉えていて、あまり詳細には識別できてはいません。困ったものです。とほほほ。でも、必要なら調べれば済みますので、多少不明確でも実生活に支障があることは滅多にありません。これって、「3以上は沢山」と言う捉え方に似ていませんか?あははは

                                           By 純一郎
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by m_tanijyun | 2003-12-25 21:59
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