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完成って何時なの?[3]

このテーマで3回目の独り言です。これも尻切れトンボになっていましたので一応これまでの話しをまとめて見ます。

 ともあれ今回の独り言のテーマは「完成って何時なの?」ってことです。人が仕事をしたり、何か作品を生み出すときに、人は何を持って仕事の終わり、或いは作品の完成と見なすのか?ということに拘って考えみました。

 いずれにせよ作業の終わり、完成度の見極めは、結局のところ作者の手に委ねられていることは確かです。そうなると、ずぼらな作者や満足度の低い作者、完成度の高さを知らない作者などは、どう足掻いても完成度を上げることは出来ません。完成度が低いことが分らなかったり、完成度を高める必要性を感じなかったりでは、その完成度の良し悪しを論じてもどうしようもありません。

 しかしそうかと言って完成度や満足度に拘り過ぎ、文章に推敲を加えているうちに支離滅裂な文になったとか、絵の完成度を高めようと加筆しているうちに色調や構図が崩れたとか、彫刻に修正を加えているうちに作品がどんどん小さくなってしまったなんてことになったら笑えませんよね?それはともかく、如何なる作品も、必ずしも手を加えれば加えるほど良くなる〈完成度が高まる)ものとは限りませんし、作者の満足度が上がるものとも限りません。

 さてさて、人は生きている限り様々な行為を行い、これまでもそれらをそれなりの完成度で終えて来ている筈です。それらの行為の全てに、「拙速となすべきか?、或いは時間を掛けてより良き完成度を目指すべきか?」という本来なら非常に悩むべき重要な課題がある筈ですが、それらをこれまで「どういう基準で決めて来たのか?どう見切りをつけて作業を終えてきたのか?」は思いの他、曖昧です。

 なぜなら、その多くが自己裁量で決められるからであり、その結果を受け止めるのも裁量者自身である事が多いため、余程の完璧主義者で無い限り、それなりの妥協が図られるからでしょう。曰く「時間が無かったから」「この程度で充分だから」「これ以上やっても無駄だから」などなど、作業を終わらせる理由や言い訳は幾らでも見つかるでしょう。

 これは一面の真実であり現実です。個人的な行為である限り、そのこと自体が良いとか悪いとかは一概には言えません。何故なら、この問題を掘り下げれば、人の人生や生き様がどうあるべきかというところまで立ち入ることにもなりかねないからです。

・・・・・つづく
                                    By 純一郎
by m_tanijyun | 2004-04-15 12:06
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