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情報の共有って?

 そもそも僕は「知る権利」だ、「報道の自由」だなんて小難しいことを論議する気などサラサラありません。だいたい「権利」だ「自由」だなんて声高に叫ぶ人に限って、これらを自分勝手に解釈し、人の迷惑省みずって輩が多いのには辟易としますからね・・・。

 ・・・って、書き出しから穏やかならぬ言葉の連続で申し訳ありません。あははは。

 さてさて、今日の話題は「情報の共有」です。「知的欲求」は「考える動物」である人間の宿命と言うべきか、或いは優れた特色でもあろうかと思いますが、とにかく人間は「情報の共有」を熱望します。

 それはコミュニケーションそのものとも言えますし、進化の一形態であるとも言えるのかも知れません。

 閑話休題:ややこしい話はチョッと横に置いて・・・と。日常的な生活の様々な側面に於いて、そこに人が集まれば、コミュニケーションや情報と言った形での「情報の共有化」が図られます。

 この「情報の共有化」は、それが会社の仕事上の情報であれば必然的なことと見なされ、俗に言う「ほうれんそう」を怠れば、仕事に重大な齟齬を来たすだけでなく組織自体が機能を失うことさえあります。この場合の「ほう=報告」であり、「れん=連絡」であり、「そう=相談」です。

 じゃ、それはなぜでしょう?なぜ、組織にとって「情報の共有化」がそれほど大切なのでしょう?

 勿論、一言でその要因の全てを言えるわけではありませんが、これは全くの私見ですが、その非常に大切の要素とは、「情報の共有化」は「責任の共有化」だからではないでしょうか?

 人それぞれに色々な見解はあると思いますが、そのような観点から私は家庭に於いても「ほうれんそう」を奨励しています。愛する家族との情報の共有化により、出来る限り多くの責任の共有化(共有課題に当事者意識を持って対処する)を図り、家族としての最善の知識を結集すると同時に、父親としての自分の責任を最大限果たしたいと考えているからです。・・・って、要するに「知らなかった」ことには充分な対処のしようも有りませんし、充分な責任の取りようも無いことが多いからです。そんな悔しい思いをするなら、仮にどのような辛い悲しいことであっても「知っていて」共に苦しみ悲しみながらベストを尽くしたいと言う気持なのでしょうかね?・・・・・・・それとも単に、愛する人のことは、それが何であれ全てを知りたいということでしょうか?あははは。

                                           By 純一郎
by m_tanijyun | 2004-07-30 18:25
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