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(続)完成って何時なの?[2]

 そこで「完成」決めることに客観性を考慮することにしましょう。作品を見る人を観衆とするなら、観衆はどんな価値基準で作品を評価しているのでしょう?

 観衆には作品に対する「期待値」があります。とくに商業芸術の分野で対価を払って作品を鑑賞したり購入するとなると、その作品が観衆の「期待値」を満たしていることが前提となります。そうなりますと、作者は単に自分の主観や満足度だけで完成時点を決めてしまう訳には行かなくなります。

 さてさて、さらに面白くなってきました。観衆の「期待値」なんて言う言葉が登場しました。あははは。これも私の勝手な定義です。よくも単純な話しをこれほど複雑に出来るな!・・ですか?すみません。もう少し話しをさせてください。
 
 この期待値は作品が商業的取り引きの対象にされるか否かに拘わらず、観衆が作者の作品の良き理解者であれば、観衆の心には作品への「期待値」が形成される筈です。作者は新たな作品を生み出すたびに、観衆が予め持っている期待値に応える完成度を、想定せざるを得なくなるでしょう。ついでに商業的作品について言うなら、観衆の「期待値」には、対価として支払う「経済的価値」との関係も加味されます。

 いろいろな定義や言葉が登場しましたが、これで、「完成って?」を論ずるのに必要な役者が一応全部出揃いました。あ~前置きが長かった~。あははは。

 ちょっと話し疲れたので、この続きは次回と言うことにしましょう。勝手にしろ・・ですか?あははは。すみません。

                                           By 純一郎                                       
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by m_tanijyun | 2004-03-30 18:51

完成って何時なの?[2]

 今回の独り言のテーマは「完成」についてですから、芸術作品やその他の制作物を念頭においています。ただし、前回書きました通り、会社での仕事も、家庭に於ける家事も一応「作品」と見なせば同じような解釈ができますので、制作に興味が無い方は、自分の身近な作業を思い浮かべて考えてみてください。

 さてさて、私の勝手な定義ですが「完成」とは、作品に対し、「自分なりに求める完成度に達した時」「自分の技量の限界に至った時」「自分なりの満足度が満たされた時」などとしましたが、まあまあ妥当なところなのではないでしょうか。

 しかしこの定義を良く考えてみると、「完成」は作者の主観により決められると言うことになります。そりゃそうかもしれませんよね?だって作品は、他人の手に渡るまでは作者のものですからね。作者の手元にある内は、客観性など必要無いという訳です。 でも、ここがこの問題のややこしいところです。全ての作品が公表されることを前提として居ないのは確かですが、作品の多くは人に見てもらうことを前提としているのではないでしょうか?

 芸術とは、作者の感動、思い、心情、主張などを作品として表現し、時空間を越えた人々と共感しあうことの出来る「高度なコミュニケーション手段」であるとも言えますから、作者の思いを託した作品は誰かに何かを訴えていると考えていいでしょう。商業作品は売買が目的ですから人に見てもらわねば話になりませんし、仕事や家事についても、仲間や家族の為に行われることが多いので、これまた主観のみでは済まされないと考えても良いでしょう。

                                            By 純一郎
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by m_tanijyun | 2004-03-25 18:47

(続)完成って何時なの?

 まあ、一般的な「一応の完成」とは、一通りの手順で事を運び、その行為の完成に必要な一連の作業を終えた時というのが普通だと思います。

 ん?チョッと待ってください。これには時間の要素が無視されていませんか?・・・そうそう、そうですよね?時間の要素は大切ですよね。確かに、時間的制約がなければ「完成時点」を決めるのは作者〈作業者)の勝手ですから、納得の行くまで幾らでも時間を掛けて作業を続けられますよね?その一方で時間的制約がある場合は、行為の完成度や作業者の満足度に拘わらず行為を終了せざるを得ないと言う場合もありますからね。 でも「一応の完成」を達成するのに必要最低限の時間しか与えられない場合のことは、完成度を無視することになりますのでここでは除外しましょう。

 しかし、どんな物事も全く時間的制約を受けないなんて事は有りませんし、あまり時間を掛け過ぎれば、幾ら優れた完成度を達成しても、その行為の価値を著しく低下させる場合もありますし、時によっては無価値になることさえあります。このことは一応念頭に置いておくことにしましょう。

 さて最初の絵を描く例え話に戻りましょう。貴方はテーブルに置かれた花瓶と花の静物画を描いています。背景を描き、テーブルや花瓶、花を全て描き終わり、カンバスには塗り残したところがない状態に筆が入りました。では、その瞬間がこの絵の完成時点なのでしょうか?まだまだ、絵を描く時間はタップリあります。すると完成度に満足できない貴方は、これで完成とは見なさないでしょう。
 では、これを「一応の完成」ということにしましょう。もしそこで貴方が、時間もあり、絵を描く意欲もあり、その絵の完成度に満足していないとすれば、次にはその絵の完成度を高める作業に入る筈です。

 そしていよいよ完成です。貴方が筆を置くのは、「自分なりに求める完成度に達した時」、或いは「自分の技量の限界に至った時」、または「自分なりの満足度が満たされた時」になるのではないでしょうか。そのときの貴方の頭には、加筆しても、これ以上完成度を高めることが困難であるとの判断も働いているかも知れません。 それでも取り敢えず、理屈の上では完成するところまで行きました。あ~良かった。あははは。

 でもこの話の本題はこれからです。続きは、また・・・・・。

                                            By 純一郎
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by m_tanijyun | 2004-03-20 18:46

完成って何時なの?

 今か今かの21世紀も、到来して見るとあっと言う間ですね。考えてみたらもう2004年の幕開けですものねぇ~。あれからもう3年も経ったってことですから時間の経つのの早いこと・・・。光陰矢のごとしですか・・。妙に実感がこもります。

 さてさて、久々の独り言です。時間と言うのは一定のリズムで絶え間なく流れ行くものの筈ですが、待ち侘びる時間はなかなか訪れず、過ぎ去った時間はつい昨日のことの様に思えます。また、退屈な時間はゆっくり流れ、楽しい時間は瞬時に過ぎ去るように思えますよねぇ~。

 食い意地の張ってる私なんか、嫌いな食べ物はなかなか喉を通らないのに、おいしい食べ物は一瞬にして喉元を通り過ぎてしまうような気がして、おいしいものを飲み込むのが悔しくてたまらないことがあります。あははは。
 ま、所詮人間の思いは勝手で我侭ですから、時間をどんなに上手に使っても、このような思いは消え無いのかも知れませんね?

 閑話休題:
 今日の独り言は「完成って何時なの?」というテーマです。人間の行なう行為には、一般に始めがあって終わりがあるのが普通です。そして人の行なう行為には、大抵の場合何らかの目的があって、その目的を達成した時を、普通は「行為の終わり」と見なすものではないでしょうか。したがってこの行為の終わりを「完成」ということにしましょう。

 じゃ一体、人々は何を持って「完成」としているのでしょう?・・・というのが今日のテーマです。ん?何だくだらん!・・ですか?あははは。つまらん事に興味を持つなぁ~・・ですよね。う~んそうかも知れません。でもまあ何時もの事ですから、話しを続けさせてください。

 カンバスに絵を描く時、皆さんは恐らく何らかの目的を持って絵を描き始めると思います。でも、描き終わる時はどうやって決めているのでしょう?何を持ってその絵を完成させたと見なすのでしょう?あははは。
これって考えると結構不思議なことですよ!そんなことない・・ですか?

 お気づきの通り、これって別に絵に限ったことではありません。小説を書いたとしても、彫刻を彫ったにしても、詩を書いたり楽曲を作曲したりするのもそうですし、日常的には会社で行う仕事も、家庭でお料理を作ったりすることにも全て当て嵌まります。

  
                                           By 純一郎
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by m_tanijyun | 2004-03-15 18:38

(続)正論って?

 言語学者ではないので、「正論」の反対語が何か分りませんが、「正論」がその定義から「理屈ばかりで固められた意見」「当たり前すぎて面白くない意見」という捉え方をされることが多いのは確かなのではないでしょうか?そう言う意味からは、「血の通わない意見」「人間味の無い意見」「感情を伴わない意見」「本音を隠した建前だけの意見」と言われることも分らないではありません。だとすると、「正論」の反対語は、案外と「感情論」だったりするのでしょうか?あははは。・・・ん?違いますよね?何方か分ったら教えてください。

 これは「正論って?」という主題からは掛け離れた議論かも知れませんし、この主題での独り言をお聞きになりたかった方の期待には沿わない話かも知れませんね?あははは。でも、これは私の独り言ですから、と開き直ったりして・・・。すみません。

 いずれにせよ、私は、「正論」とは「考え方の基準となる考え」として捉えれば良いものだと思っています。法律や規則、道徳や倫理等のように、人間が社会生活を営む上で必要な教え、決まりごと、約束事などは沢山ありますが、正論もそれに近い役割を持った考えと言えるのではないでしょうか?

 「正論」とは、地図に様々な考え、知識、理屈が存在する時、それらを繋ぎ合わせた沢山の考え方という道筋の内、幹線ルートを示したものと言っても良いのではないでしょうか?これに例えてお話するなら、幹線ルートが最も効率良く目的地に達する最適ルートと考えるのは当然ですし、大切です。「正論」に従った行動をするか否かは別として、物事のそれぞれについて、その物事に於ける「正論」とはどのような考えか、を知って置く事は全ての考えの出発点であり、大前提だと思います。

 しかしながら、「正論」が幹線道路だからと言って、「これ以外の道を絶対に通らない」とか、「通ってはいけない」とかと言うものではありません。場合によっては、幹線道路で事故があって却って渋滞していることだって無いとはいえないでしょう?あははは。何事も、あまりに理屈や規則に偏重して頑なになってはいけません。それでは生活や人生に潤いがなくなります。幹線ルートを充分承知の上、敢えて回り道をして道草をすることだってあってもいい筈です。

 しかし、何時も地図も持たず、幹線ルートも知らず、行き当たりばったりに走り回る生き様は感心できません。これは自由が一定の秩序の中にあり、無秩序や出鱈目とは違うと言う考えにiも通じるものだと思いますが、如何でしょう?

                                            By 純一郎
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by m_tanijyun | 2004-03-08 18:36

正論って?

 私の独り言をお聞き頂いている方から、「正論って?」という主題での独り言が聞きたいとの要請がありました。う~~ん。これは難しい主題ですね。・・・・参りました。。。。
 ん?何故だ・・ですか?いえいえ、大した理由じゃありませんが、私にとっては、この言葉の印象はあまり良くありません。

 正論って言うと、「そりゃ、正論だろ!お前の意見は確かに正論だよ!だけどね、正論なんて誰でも吐けるし、面白くとも何とも無いよ!・・俺は正論なんか聞きたくないね!俺は、お前の本音が聞きたいんだ!」ってな言葉を直ぐ思い浮かべてしまいます。 机上の空論が好きで、理屈ばかりで考えることの多い私は、この言葉を浴びせられる事が多いからでしょうか?あははは。

 それはさて置き、取り敢えず「正論」の意味を辞書で引いて見ました。広辞林によりますと、「正論」とは、「道理の正しい議論」となっています。ん?じゃ、道理って?というので、これも引いて見ました。すると、「道理」とは、「事物が当然そうでなければならない理(ことわり)」となっていました。

 つまり、「正論」とは、「当然そうであるべき理由を伴った、正しい議論」ということになります。じゃ、この「正論」の対する意見というか、対極にある言葉は一体何なのだろう?要するに、「正論」とは、どうやら「議論の余地の無いほど明確で完璧な理屈で固められた意見」みたいなものらしい。う~ん、なるほど・・・そりゃ、確かにつまらん!・・・・ってことは、どうやら私は、何時も、この何とも面白くない意見を吐くことが多いのであろうか?とほほほ。

・・・ってことでこの続きはまた。。

                                          By 純一郎
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by m_tanijyun | 2004-03-01 18:28