知的所有権って?

 前にも書いたかも知れませんが、経営破綻に陥った銀行へ2兆円の資金注入を政府が決定した時、あまりの天文学数字に、その資金投入規模が如何なるものなのか丸っきりイメージが湧かなかったのを覚えています。
 その後、いったい誰が計算したのか、2兆円と言うお金は、それが生み出す利息を無視したとして、毎日1000万円使っても、使い切るのに500年掛るという話が流れ、びっくりしたものです。平均寿命の80年で使い切るには、この6.25倍のペースで使わなければ使い切れない・・。
ビル・ゲイツの個人資産は6兆近いと言うから、彼は更にその3倍のペースで使う必要があるのか・・・って、そんなこと心配してどうする。あははは

  それはともかく、ビジネスがこれほどの巨万の富を生み出す背景には、言うまでもなく様々な利権があると言っても過言ではありません。そして現代では、その利権の最大のものは知的所有権ではないでしょうか?

 IT産業や様々な産業や工業の背景に特許があるのは当然として、エンターテーメントやプロスポーツ、さらにはオリンピックに至るまで、およそ個人の技能と思われているものでも、その高額ギャランティーの背後には、放映権料、肖像権料などのような知的所有権が付き纏っています。

 元々は、産業の保護や育成、技術や役務(サービス)への正当な対価やその保護などを目的に生まれた制度ですが、メディアの拡大、情報化社会の拡大、消費経済の発展と大量生産、流通の拡大などなど、様々な社会変革により、独占権という利権は加速度的にその力を肥大化させ、先ほどの天文学的数字と言われるような利潤を掻き集める、まるで悪魔のような巨大な力を持つようになってしまったのです。

 前述のような社会変化、発展の結果として、人間社会が画期的に便利で効率良い社会になってきて、それはそれで人類全体がその恩恵に浴しているのはあながち悪い事とは言えません。そしてまた、交通手段や通信手段の発展のみならず、国家と言う枠組みも変わりつつあり、社会経済圏のグローバル化して行くことも避けられない流れと言って良いのでしょう。
 しかし、それだからこそ問題の本質を問い直して見る必要があるのでは無いのでしょうか?

 今や世界中の国々を巻き込んで巨大な利権を生む知的所有権が、特定の国家、個人に独占的利益をもたらす仕組みが、現代社会でも尚、果たして正当なシステムと言えるのでしょうか?甚だ疑問であると言わざるをいえません。知的所有権が生み出す利潤の大部分が、社会システムの発展に支えられて生み出されているのであって、決して一企業や一個人の発明や発見だけに依存しているのでない事は間違いないでしょう。

 昨今、企業や国家の研究機関の研究者が、研究成果の分配や権利を求めて訴訟を起こし、巨額の分配金を勝ち取ると言う報道を聞くと、この問題の本質の履き違いを感じざるを得ないのです。研究成果を組織が独占して良い訳はありませんが、研究成果を成し遂げたり、商品化し商業的、産業的ベースに乗せ利潤を確保するには、個人の閃きやアイデアだけでは為し得ないのは疑いの無い事実です。

 このような争いを見ていますと、人がお互いへの配慮や社会への感謝の気持を忘れ、己の成果を誇り、そこから派生する権利や利潤の独占を叫んでばかりいるように聴こえるのは私だけでしょうか?

 話が長引きましたので今日はこの辺で、続きはまたということにしましょう。

                                        By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-11-15 16:59

●●さんからのコメントへの返信

 ●●さんいらっしゃい^^w

 「亀的な生活」ですか・・いいですね?昔、無駄に明るくはしゃぎまわる人を「便所の100ワット」などと揶揄する言葉がありましたが、あくせくと意味もなく走り回り、無駄な労力を費やし、落ち着きのない生活を送る事を「ウサギ的生活」とするなら、僕も亀的生活を送りたいものです。あははは。

 しかし、小生はどちらかと言うとアナグマのように巣穴に潜り込んで動こうとしないところもあるので、そう言うとこは反省しなきゃなぁ~

 さてさて、時間とは仰られるとおり、物理学などで定義される客観的時間に対し、人間が感知する主観的時間があるような気がします。

 客観的時間は言うまでもなく、時計などのように一定の周期で規則正しく繰り返される物理量を測定して計測されるものですが、主観的時間は、人間が生きている事により知覚できる時間を言いますので、これ自体、非常に相対的なものです。

 主観的時間は、人間の感覚世界のものですから、ご承知のとおり楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、退屈な時間は死ぬほどゆっくり流れますよね?
 また、厳密な意味での思考は出来て居ないと思いますが、他の生物なども、体内時計のようなものを持っていて、これを何らかの感覚器官で知覚しているものと思われますが、この生物時間も実に相対的な時間に支配されているものと思われます。

 儚い命で有名なカゲロウは、水から上がり羽化し、まず成虫の前の段階(カゲロウ特有の)亜成虫になります。亜成虫の時は繁殖能力がありませんが、早いもので5分、大体のものは2~3日で成虫になります。そして成虫になって交尾・産卵を終えると死んでしまいます。 羽化後の寿命は短いもので1~数時間、長い種類のものでも2週間だそうです。
 一方、一説には200年以上も寿命があると言われるゾウガメ(現存しているものでは171歳が記録されているとか・・)や100歳近くの寿命を持つと言われるシロナガスクジラなどなどもいます。
 この場合、はたしてカゲロウは儚い命を嘆き、ゾウガメは長寿を満喫しているのでしょうか?
 彼らではないので本当の気持は知りませんが、それぞれのライフサイクルは一生を比較すればよく似ていて、おそらく生物時間の相対的な経過速度がカゲロウとゾウガメとで違っているだけで、彼らにとっては同じような一生なのかも知れません

 そう言う意味では、MONKUYAさんの仰られる「時間っていうのは、人間だけの感覚」とは、主観的時間や生物時間を指しているようにも思えますが、人間不在でも成り立つべき客観的時間も、実は相対的であり、その存在証明をしようとすれば、そこに観察者たる人間の存在が欠かせないと言う点では、ある意味、非常に的確な表現なのかも知れませんよね?あははは。
 「我思う故に我在り」・・かな?こうなると、物理学より哲学の世界でしょうか?

 この辺の話については、なかなか面白いテーマですから、機会があればまた独り言として取り上げたいと思います。話が長くなりましたので、今日は、この辺で・・・。

                                         By 純一郎 
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# by m_tanijyun | 2004-11-09 16:56

時間即ち生?への●●さんからのコメント

 時間っていうのは、人間だけの感覚だとおもってました。

 アインシュタインの相対性理論によると、そのセンターにいるのと、外側にいるのでは、時の動きの感覚がちがうらしいから、私は、センターに住みたいのですが、どこが、センターなんでしょうね。

 たとえば、10人が手をつないで一直線になり、円をかくと、そのセンターの人は、ほとんど、動かないのに、外側は、走らなければならないですよね、でも、同じ、360度で、おなじ、時間なんですね。だから、外側にいる人は、すごい、エネルギーを費しますよね。現代の先進国の人は、その外側感覚の人が、おおいですね。

 それで、私は、なるべく、センターに近い行動をしています。うさぎ、と、亀の、亀的な生活を好んでますが、ウサギと同じくらい、いえ、もっとそれより、多くの仕事をこなしてますから、不思議ですね。^^w

                                            By ●●
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# by m_tanijyun | 2004-11-08 16:50

■■さんからコメントへの返信

 あははは♪こんにちは~^^w■■さん !! 
 うんうん!ちゃんと覚えていますよ~お久しぶりです 独り言をお読みいただき感謝申し上げます

 何時もながらの取り留めの無い独り言ですから、あまり大げさに捉えないでくださいね?あまり深読みされるとチョッと恥ずかしくなってしまいますそれでも、人それぞれの経験や知見にあわせていろいろと解釈していただけると嬉しいです。

 如何なることも、深く捉えれば、物事の真理や摂理が垣間見えたり、深遠な解釈が生まれ得るものですから、もし、この独り言にそのようなものを感じていただけたとすれば、それは決して、独り言を発する側の内容のせいでは無く、お読みなられ、そう感じられた読み手の方の資質によるものでしょうあははは。

 さてさて、確かにこれは様々な解釈が埋まれ得る内容ですので、実の所、今回はわざと、何も結論めいたことや意見のようなものを書きませんでした。
 「時は流れるからこそ時であり、そのときが流れるが故、そこに生が在る。」 これって、「我思う故に、我在り」と言う言葉に似ていますよね?あははは。
 そう思うと、このことって「するめ」のように、噛めば噛むほど味が出る言葉だぁ~~と、勝手に思っちゃったりして悦に入ってますあははは。ちょっと大げさかぁ~

 人は常に「時が過ぎ去ることを惜しんだり、嘆いたり」します。・・・でも、喜びも悲しみも「生」在るが故、得られるものであり、時が過ぎ去るが故、その感情も起こり得ることなのですよね?・・・ですから、そう考えますと、むしろ「時が過ぎることを良しとし、時間を大切にし、人生を如何に有意義に過ごすべきか?」と言う考えなどが生まれてくるのでしょうね?あははは。

 斯く言う私も凡人ですから、そこまでの悟りは開けませんが、「そうか~~、時間が過ぎるから楽しみもあるってことかぁ~~♪なるほどね~~♪ どんなに美味しくて、貴重で大切な食べ物も、食べて飲み込んで無くしてしまわないと、その美味しさは味わえない・・・と言うのと似たようなものかなぁ~」・・・なんて、思ったりしてます。えへへへ。

                                            By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-11-07 16:47

時間即ち生?への■■さんからのコメント

 こんばんは。ずいぶん前にお伺いしてから随分と時間がたってしまいましたが覚えておいででしょうか。■■です。

 時間と生を読んで子供の頃に読んだ一冊の本を思い出しました。

 主人公である少年が、ある日不思議な薬を見つけてしまいます。それは、その薬を飲むと周り全ての時間がゆっくり進んで見えるというものでした。
 周り全てが遅いので少年は運動会で1等をとることが出来ます。また、草野球をしていてもものすごい剛速球を投げることが出来ます。 物事は相対的だからです。
 そのうちに少年は小学生ながらプロ野球の選手にならないか?と誘われます。彼は喜んで承諾しプロの野球選手として大活躍します。
 でもある日、少年は薬を飲むのをやめてしまいした。それは、薬の力で勝っても仕方ないということと別に、周りよりも自分が早く年をとってしまうんじゃないかと気付いたからでした。それ以来、少年は普通の小学生に戻ったのでした。
 
 結局、私たちが生きていくうえで時間の呪縛からは逃れられないんだなぁと思いますよね。
時間とは生そのもの。まさにそうですよね。
 この本、小学生の頃の読書感想文推奨とかで読んだのですが(もちろん感想文も書きました^^)これって実は、時間は相対的であるってことを言ってるんですよね?何気なく科学に触れる機会を与えられていたとは(笑)

 話は変わりますが…^^ 最近よくテレビショッピングとかに出てくる電波時計ってありますよね。その土地の標準時を電波塔から時計に送ることにより、常に正確な時を刻み続けるというものです。そう遠くないうちに、1分1秒の狂いも無く、皆と常に同じ時間を共有するようになっていくんでしょうね^^

 時間と生。生と生活は違うけれども、生活していくうえで時間との関わりあいをどう取っていくのかというのもだんだん変わっていくのかなぁと…思う、■■でした^^

 以上、だらだらとした長文すみませんでした。改行などうまくいってなくて読みづらかったらごめんなさい^^

                                            By ■■
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# by m_tanijyun | 2004-11-06 16:34

時間即ち生?

 純一郎です・・・お久しぶりです

 昨今、腹立たしいことや理不尽な出来事が多く、口を衝いて出るのは批判めいた言葉となり勝ちで、なかなか穏やかな心境にはなれませんねぇ~

 さてさて、久し振りの独り言です。

 思うに、時間というものほど不思議なものはありません。
 時間は過去から未来へ留まる事を知らずに流れ行きます。その一定の方向性と不可逆性も不思議ですが、その継続性や不変性も不思議ですよね?
 
 なぜ時間は過去から未来への一方通行なのでしょう?物事の多くは相対的で、プラス方向にもマイナス方向にも広がりを持っているのに、何故時間は一方的で、一定不変に時を刻むほど絶対的存在なのだろう?(実のところ、時間も正確には相対的なものではあるそうですが、そのことはちょっと置いておきましょうw)

 確かに、物事には因果律と言うものが有って、原因があって結果が起こる訳ですから、時間が可逆的となって、これが逆転することは許されません。

 しかし、だからと言って勿論、それが故、時間が一方通行になった訳では、有りませんよね?・・・・・ん?。。。。神様が、そうお造りになられた?あははは。・・・もし天地創造の神が時間をもお創りになられたんだとすれば、そうなのかもw

 我々の住む世界というか宇宙は、空間があって、そこに物質と時間が当たり前に存在することが前提となっていますが、仮に時間が初めから無かったり、停止するといったいどういうことになるんだろうか?

 先ず、時間が無ければ歴史が無い訳で、過去も無いことになります。したがって現在も有り得ないし未来も無いので、この世自体が無いことになります。
 次に、宇宙創生後の、ある時間経過後に時間が停止したとすると、時間の停止は、生命現象の停止は勿論のこと、この宇宙の全ての運動の停止を意味するでしょうし、エネルギー変化の停止を意味するでしょうから、その時点で宇宙が死を迎えたと言うべきでしょう。

 こうして考えてみますと、時間とは「生そのもの」と言っても過言ではないでしょう 

 ん?。。なんだそんなこと・・当たり前じゃないか?あははは。下らんこと考えるな!・・・ですか?

 でも、「時間が在るから、生が在る」即ち、「時間が容赦なく過ぎ去るもの」だからこそ、そこに「生命が存在し得る」って、当たり前すぎるけど・・・重要なことに思えるんだけどなぁ~

                       秋の夜長に物思いに耽る純一郎でしたぁ~^^w
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# by m_tanijyun | 2004-11-05 16:28

(続々々)四次元って?

 「四次元の世界」の話も4回目となりました。そろそろ具体的イメージを摑みたいところですね?
 
 前回の話で、「四次元の空間」は、我々が住んでいる「三次元空間」のあらゆるところと接している、直ぐ隣にある「別の空間」であると言いました。
 これをもう一つ下の「二次元」から、「三次元」を想像する話に置き換えて考えてみましょう。勿論、「二次元の世界」の生き物など居りませんが、仮にこの世が「二次元の世界」だとして、我々も「二次元の生物」と仮想してみてください。

 「二次元の世界」は高さの無い「平面」だけの世界ですから、その世界に住む住人も、存在する物質の全てが「平面的な存在」ですし、その移動方向も「平面内」に限られます。
 ですから、もしここに「二次元の生物」が居て、この世界を観察しているとしますと、そこには「三次元の方向」である「高さ」と言う概念が存在しないわけですから、我々が「四次元空間」を想像出来ないのと同様、彼らは「三次元空間」の存在を認識することも想像することさえも出来ないでしょう。
 
 でも、三次元に暮らす我々から、彼らの平面世界を観察してみますと、「二次元世界」のあらゆる場所の直ぐ上と下には、「三次元空間」が広がっているのが分るはずです。
 
 そのイメージを具体化するために、ここで面白い思考実験をして見ましょう。「二次元世界」の生き物が乗った車が、「二次元空間」の左右から接近し、危うく正面衝突しそうになったとしましょう。
 もしこのとき、「三次元の生物」が「三次元の世界」から手を伸ばして、この車のうちの一台を「三次元方向」に避難させ、上下に擦れ違うようにしたとします。このとき「二次元生物」である車の運転手はどんな光景を目にし、どんな体験をすることになるのでしょう?
 
 もうお分かりでしょう?「二次元世界」に残された運転者が見た光景とは、「あわや正面衝突すると思われた対向車が、突然目の前から消えて、一瞬の後には、自分の車の後方に忽然と現れる」というものでしょう。
 一方の「三次元世界」に移動させられた車の運転手は「衝突の瞬間、異次元にワープし、一瞬の後に元の世界に舞い戻る」という経験をしたことでしょう。

 これを「三次元世界」の出来事と「四次元世界」へ避難した話とに置き換えて想像してみてください。どうでしょう?イメージ出来ましたでしょうか?
 
 当然のことながら、「三次元空間」の「三次元生物」である私たちには、四次元空間を認識することは出来ませんが、もし仮にそんな空間が我々の住む世界の裏側?(裏側かどうかは分りませんが、ともかく直ぐ隣の空間にという意味です)に広がっていたらと想像するだけでも楽しいかもしれませんね?

 この「四番目の次元」に「時間軸」を加えて、「時空間」という「四次元空間」を想定することも出来ます。これもまた立派な「四次元空間」であると言えなくはありませんが、「時間軸」を「他の空間軸」と同列に取り扱うべきか否かは議論の余地があるかも知れません。
 
 タイムマシンに乗って異次元にワープするという話は、まさにこの「時空間」を移動する話です。しかし、 これはこれで話が長くなりますので、この話の続きは、また別の機会にすることにしましょう。

 いずれにしましても、我々は数学者でも物理学者でもありませんが、このように、この世に存在しないもの、未知なる物や経験出来ない事柄、思考上でのみ成り立つ考えなども、「現実に把握できる物事からの類推」や「過去の経験の積み重ね」、「思考上の実験」などから、自分達の理解できる知識を総合すれば、幾らかでも真実に近いものをイメージし、肉薄することが出来るのではないでしょうか?
 
 目に見えるものや経験したことだけに頼るのではなく、時には、それらの知見が物語る物事の別の側面にも、関心を寄せてみるのも大切なことだと思います。 ・・・・ということで、独り言は、まだまだ続くぞぉ~~

                                         By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-10-20 16:27

(続々)四次元って?

 さて、何処まで話しましたっけ?下書き無しの独り言なので、突然話が飛躍したり、繰り返しがあるかも知れませんが、そこのところはお許しください

 前回の続きですが、「ある次元の空間(たとえば直線)」は、「その下の次元の空間(たとえば点)」の移動した「軌跡」であることは既にお話しました。
 「直線」を、その直線と直角の方向に移動した軌跡は「平面」となりますし、その「平面」をまた、その平面とは垂直な方向に移動させれば、その軌跡は「立体」となると言う関係はお分かり頂けましたよね?

 これを逆に考えてみますと、「零次元の空間(点)」はその上の「一次元の空間(直線)」の「切り口」であるとも言えます。 どうです?面白いと思いませんか?
 確かに、「立体」の切り口は「平面」ですし、「平面」の切り口は「直線」で、「直線」の切り口は「点」ですよね?
 ・・・ってことは、もし僕らの周りに四次元空間が広がっているとすると、今、僕らが見ているこの三次元空間は、実は四次元空間の「切り口」だってことかも知れませんね?

 しかし、それにしても四次元空間が広がっていると言う「四次元方向」と言うのが、どうしてもイメージ出来ません。勿論これは、この世(三次元)に無い方向ですから、イメージできなくて当然なのですが、これについても、もう少し考えてみましょう。

 そのために、もう一度「三次元以下の空間」について観察を続けましょう。ある次元より一次元上の空間は、一体どのような方向に広がっているのでしょう。

 まず、「零次元」である「点空間」の直ぐ隣には、「一次元空間」が広がっているってことはイメージできますよね?・・何しろ、この「零次元」である「点」が、どちらかの方向に動き出せば、その軌跡は「直線」となり、その「直線」こそが「一次元空間」そのものである訳ですから、「零次元空間」と「一次元空間」は、何時でも何処でも「直ぐ隣にあって接している」はずです。

 この関係は「他の次元」についても普遍的(共通の)関係ですから、「四次元空間」だって、「三次元空間」の直ぐ隣に接している筈なのです。ただ見えないだけなんです。 ええーっ!見えないの?・・・ですか?そ・そうなんです。見えない・・というか、「その存在を認識出来ない」って言った方が良いのかも知れません。

 四次元空間、それは「三次元空間の直ぐ隣に接していて、しかも三次元の世界に住む人からは全く認識する事が出来ない、別の空間である。」と言う訳です。・・・分りますでしょうか?いずれにせよ、そこんとこが「四次元空間」を理解する上で、結構重要なポイントなんです。

 ・・・・ってことで、この続きはまた・・・・。
                                         By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-10-15 16:25

(続)四次元って?

 えと・・・。四次元の話の続きです。僕はその道の専門家じゃないので、この独り言には、学術的に異論があるかも知れませんが、素人的に出来る限り四次元の世界のイメージに迫ってみたいと思います・・と一応言い訳を書いて置こう。。

 前回お話しました通り、四次元は三次元に、もう一つ次元を加えたものであることは確かです。それを具体的に図示したり観察したりは出来ない、という以上、これをイメージするには他の方法で類推する以外にはありません。

 そこで、今、実際に観察可能な一次元と二次元の違いや、それらの関係。二次元と三次元の違いと、それらの関係。などなどから、三次元と四次元の違いや、それらの関係を類推してみる事にしましょう。

 一次元は直線であり、二次元は平面でしたね?そして、三次元は立体です。これらの違いと関係を整理しますと、次のようなことが分ります。

①一次元の直線は、点の集まりであり、その点が、一次元方向に移動した軌跡(動いた跡)が直線であると考える事が出来る。

②二次元の平面は、直線の集まりであり、その直線が、二次元方向に移動した軌跡(動いた跡)が平面であると考える事が出来る。

③三次元の立体は、平面の集まりであり、その平面が、三次元方向に移動した軌跡(動いた跡)が平面であると考える事が出来る。

 な~るほど~・・・・ということは、「ある次元の空間」と言うのは、それより一次元下の空間が、その次元の空間方向に移動(運動)した軌跡が描く空間である、ということが出来そうですね。

 これらのことから考えますと、「点」と言うのは零次元空間と言うことになりますし、四次元空間とは、三次元(立体)が四次元方向に動いた軌跡が描く空間と言うことになりそうです。

 ん?なんじゃ?・・・分ったような分らない様な。。。。大体のイメージは分るんだけど、肝心の四次元方向というのが分らないから、立体が一体どっちの方向に動いたのか分りませんよね?これじゃあ、その立体の動いた軌跡も思い浮かばないし、四次元空間のイメージも湧かないですよね?

 ま、だから最初から四次元の世界は分り難いって申し上げたでしょ?あははは。

 ・・・・でも、立体が、縦でも横でも奥行きでも無いもう一つ別の方向に動いた軌跡が四次元空間らしいって言うことは分って頂けたでしょうか?

 じゃ、この続きはまた・・・ということで。

                                          By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-10-10 16:23

四次元って?

 「話の次元って?」という独り言のついでに、「四次元って?」という独り言も書いてみることにしました。

 SF小説などでは良く「四次元の世界」といった言葉が登場します。「四次元の世界」というと、何となく不思議なことの起こる未知の世界、というイメージはあっても、それが具体的にどんな世界なのか思い描くことは出来ませんよね?
 ん?なぜかって?。。。それは、ご承知のように、我々の住んでいる世界は、縦と横と奥行きで表わされる三次元の空間ですから、もし仮に四次元空間というものを理論的に定義したところで、それを三次元空間上に具体的に図示したりすることが出来ないからです。

 これについて、もう少し詳しくお話しますと、前にもチョッと触れましたが、「次元」というのは空間の広がりを示す概念で、それぞれ、縦(上下)と横(左右)と奥行き(前後)などのような座標軸を指しています。
 
 ですから、縦、横、奥行きの三つの次元の内、どれか一つの次元だけで成り立つ空間が一次元空間(直線空間)であり、そのどれか二つを組み合わせた空間を二次元空間(平面空間)という訳です。
 
 従って、縦、横、奥行きの三つの次元を全て組み合わせた空間が三次元空間(立体空間)なのですが、四次元空間を考えようとすると、縦でも横でも奥行きでもない四番目の座標軸を描く必要があるのです。
 ところが残念なことに、私たちの居る三次元空間には、そのような座標軸は存在しないし、当然のことながら、それを描くことも出来ないのです。

 この世に存在しないものを描こうというのですから、始めから無理な話といって良いのかも知れませんが、いずれにせよ四次元空間を図示する方法が無いってことは、四次元の世界とは大体こんなものであろうと頭に思い浮かべることですら、非常に困難であると言って良いのです。私たちが分らなくて当然という訳です。

 えっ?それじゃあ、そんなこと考えたってしょうがないだろうって?あははは。そりゃそうですよね?でもそれではこの独り言は終わってしまいますので、何とかここで、四次元の世界というものを想像する努力をしてみることにしましょう。

 ・・・ってことで、この話の続きはまた、・・・

                                             By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-10-05 16:19