冷静な判断って?

人工頭脳とも呼ばれるコンピューターは、元はといえば電子計算機と呼ばれる演算装置でしたが、数値という(情報:データ)を大量に短時間で演算処理し、類似性・同一性・大小関係などを瞬時に比較検討する機能を組み合わせ、人間の思考と類似した様々な情報処理能力を持ち合わせています。これこそが単なる演算装置が今や人工頭脳と呼ばれる様になった所以でもありますが、その思考能力の根幹をなしているのが「判断機能」ではないでしょうか?

 何だ何だいきなり!。。そうですよね!あははは。今回の独り言のテーマは「冷静な判断って?」です。ただし、人間と言う感情の動物が行なう判断の話です。

 人は様々な思考活動を行ないますが、生命活動を維持する上で必要不可欠な思考能力の一つがこの「判断機能」であると思います。人はある目的を持って情報を集め、処理し、比較検討し、一定の判断を行うことによってその目的を達成するという行動様式を持っています。
 すなわち判断は、一般的に、その人が収集した情報を比較検討し、目的を達成可能な幾つかの選択肢の中から、一定の判断基準と照らし、最も優位と思われる一つ解決策を採択する行為と言えます。

 この意味からしますと、同じ量と質の情報からは、判断基準が同じなら、同じ判断が得られる筈です。実際コンピューターは、基本的にはそう言う判断をするものです。しかしながら、人間は「感情」を持ち合わせ、その感情は環境により激しく変動するため、何時も一定である事は有り得ません。それと同時にと言いますか、それが故と言うべきでしょうか、人間は判断基準を一定に保つのが苦手です。その結果として人間の判断には常に「迷い」というものが付き纏います。

 この事を人間の利点と考えるか欠点と考えるのかは視点により違いますので、それこそ誰にも明確な答えは出せないでしょう。と言うより、これは単に両者の持つ特質であると理解すべきことと考えた方が良いと思います。

 さてさて何時もの通り前置きが長くなりましたが、今回の独り言のテーマ「冷静な判断」ですが、そのそも判断そのものが判断基準によって異なりますので、絶対的な「判断の正否」を論ずるつもりは更々ありません。ただ、「冷静な」とある通り、人の判断には感情と感情の起伏が大いに関係すると言う話を、自戒の念を込めてお話します。

 ・・ってことで話が長くなりそうなので、ここらでチョッと一休み♪   

                                       By 純一郎                                    
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# by m_tanijyun | 2004-06-20 13:21

甘夏柑ママレードの作り方

甘夏柑ママレードの作り方(柑橘類に共通)

①ピーラーを使い表面を薄く剥く。これにより、出来上がりの食感が良くなる。

②四つ割りに皮を剥き、実と皮に分ける。

③実はそれぞれ薄皮を剥き、種を取り去る。 可食部分のみを残す。

④皮は両端を切り捨て、残りを幅2mmくらいに細く切り揃える。

⑤細切りした皮は一度湯でこぼし、水に晒して苦味を取る。長く晒すほど苦味が
 減る。晒し終わったら水を切る。

⑥可食部分の実(③)を同量の水を加えてペースト状になるまで煮詰める。
 水分が殆どなくなるほど煮込むので、最後は細火で焦げないよう注意する。

⑦ペースト状にした実に、⑤の細切りした皮を加えて火に掛け、砂糖を二回
 に分けて加え溶かし混ぜる。
 砂糖が溶けたら強火にして一気に煮詰め仕上げる。(ジャム状にする。)
 弱火で煮詰めると飴になってしまう。 砂糖の量は果実重量の70%が目安。  

⑧瓶と蓋を煮沸消毒して伏せて置く。 これに熱いままのママレードを詰め、
 蓋をしてから10分ほど逆さまにして、蓋および瓶の口の殺菌をする。
 その後元に戻して冷めるまで放置する。


以上です。お試しください。
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# by m_tanijyun | 2004-06-15 13:10

(続)こんな奴にイエローカードだぁ~!

 前回の続きで~すあははは。自転車繋がりの話でぇ~~す。

 自転車が大好きで愛用している私は、自転車のマナーの悪さには何時も悲しい思いをします。放置自転車の問題や二人乗りや並走などの問題は今に始まった事ではないでしょう。        

 最近とみに目に付くのは、前回にも書いたヘッドフォンしたままとか携帯電話したまま走行する若者たちです。彼らが危険な目に会うのは多少とも自業自得的な面もありますが、困るのは、それに巻き込まれて全く関係ない第三者が被害にあったり、場合によっては加害者にもなり得るという点です。

 先日目にした光景は、呆れ果て、怒りを通り越して思わず笑ってしまいました。それは高校生くらいの若い女の子でしたが、右手でタバコを吹かしながら左手で携帯を持ち、おしゃべりし、自転車のハンドルに両肘を着いて操作しながら、ナントナント自転車を走らせていましたぁ~。何でそこまでしなきゃならないんだぁ?

 商店街の前にある歩道はもっと悲惨です。歩道としての機能は殆ど奪われていて、その半分は、歩道に面している商店の売り場と化していて、残りが一時的な駐輪場化しているのです。その僅かな隙間を、歩行者と自転車が通行にも使っているなんて・・・・信じられません!

 かてて加えて、そこにやって来る自転車の「お客様」のマナーの凄いこと!歩道脇に止められないとなると、走って来て止まったその場(なんと歩道のほぼ中央ですよ!)に自転車を放置してお店に入ってしまう人まで居るのです。ぎょへ~~!信じられん!この人どういう神経してるんだろう?@@ですよね?

 これって、東京だけのことなんだろうか?「都会の狂気」という言葉があるけど、華やかで便利な反面、単位面積あたりの人口密度が高すぎると、そこには常軌を逸した生活が日常化してしまうという恐ろしい側面も起こるんですねぇ~・・・僕が毎週郊外に出掛けるのも、その都会の狂気から逃れたいからかも・・・

                                             By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-06-10 12:37

こんな奴にイエローカードだぁ~!

 ん?なんだ、いきなり・・・ってか?あははは。

 常識って?って書いたことあるけど・・・モラルの低下と共に常識どころか良識なんて口にするのも空しい気もします。価値観の多様化と言えば何か格好が良いけど、それでは済まされない、無秩序な世の中になったものだと悲しくもなります。とほほほ。

 僕は健康上の理由で毎晩のように小一時間近所を散歩しますが、サッカーの審判のように、もしイエローカードを持っていてそれを提示する事が出来るなら、絶対にイエローカード(レッドカードも必要かも・・)出してやるっ!って奴や出来事に嫌と言うほど出くわします。

 そんなこと言ったら皆そう思っているのだろうし、僕自身も他人に不愉快な思いをさせていることもあるのかも知れないと、頭を冷やして反省したりもするのですが・・・これほど常識を共有出来ない世界では、価値基準自体が違うのですから、モラルなんて言うほうが無理なのかとさえ思ってしまいます。

 猛スピードで出会い頭にぶつかりそうになった自転車同士の若者が、お互いに凄い形相で睨みあってるのを見ると、もしあれが衝突してた時、一体どちらが被害者で加害者なのだろうと思ったりもします。

 見ればお互いにヘッドフォンをして、周りの音や気配すら感じる事の出来ない自分の世界に浸りきった者が、ただひたすら目的地に向かって自転車を走らせているだけでは、事故が起こらないほうが不思議なくらいだ。

 こんな事でも裁判にでもなれば優劣をつけてどちらがより正しかったか?なんて裁定が下るのかなぁ~なんて・・・考えると変ですねぇ~。

 これは都会を中心とした現象なのでしょが、老若男女を問わず、街でも建物の中でも、お互いに道を譲り合う光景が非常に少なくなったのは嘆かわしい事です。一体何がどうなったんだぁ~~

                                            By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-06-05 12:33

(続)下手のファインプレー?

 イチロウなら余裕で取れるフライを、あたかも超ファインプレーのようにキャッチする選手は沢山居ますよね?プロであれば努力して、少しでも走力や捕球技術を高めるべきである筈ですが、意外とそう言った意見はあまり聞きません。それはイチロウが、普通ならとても間に合わないフライを、あまりに簡単に捕球するので、それがファインプレーに見えないという逆説もあります。現実とは何と皮肉なものでしょう。

 これと同じような事は身の周りにも沢山見られます。普通なら汗もかかずに数時間で充分にこなせる仕事を、3日も4日も掛けて、大汗かいて、毎日大幅な残業をして、必死の形相でやっと達成する人も居ますよね?あははは。貴方の身の周りには居ませんか?

 これを、一体どう評価すべきなのでしょうか?人の為せる業を人が評価すべきか否かとか、性善説か性悪説の何れが正しいかなどを論議する気はありません。また、人には様々な特質があり、たった一つの技量の優劣で評価すべきでないことや、物事は結果よりプロセスを大切にすべきことも一理あるところです。

 しかし確かなことは、人は「己に恥じない姿勢で、己が行為に最善を尽くすべき」ということです。例えそれが社会的弱者であっても、最善を尽くしてこそ結果が問われないのであって、ましてや健常者にあっては、手抜きや横入りするような狡賢い奴が得をする世の中であって欲しくないものです。

 医者や教師、弁護士、政治家といった公職や聖職に付く者のモラル欠如や、少年法や道路交通法に見られる不条理は目に余るものがあります。社会的弱者の存在を隠れ蓑に、努力も何もせずに社会保障を貪る怠け者の横行も目立ちます。これらは皆、本来は弱者救済を目的とした本来の使命を逆手に取り、充分な技能や能力がありながらそれを発揮せず、己が利得だけに固執し、スタンドプレーの上手い奴ほど大きな顔をしているという意味で、どこか「下手のファインプレー」に似たところを感じるのは私だけでしょうか?

 それにつけても、いま自分が尊敬する父が亡くなった年齢に近づき、生前父が良く口にしていた「分相応を宗とすべし。」という言葉を思い出します。己を知り、己に恥じず、己の分に相応しいことを為すべきと言う事だと思います。この言葉は、けっして卑屈な、消極的な言葉ではなく、天に恥じない行いを、己が天命に沿うように、正々堂々と胸を張って行なうべしと言ってるという事を、最近やっと理解できるようになってきた気がしています。

                                           By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-05-31 12:31

下手のファインプレー?

 お久しぶりです。・・・ん?@@なんじゃ?下手のファインプレー?・・ですか?あははは。

 あまり良い題名ではないですよね?申し訳ない・・・・・。これも私が勝手に名付けたものです。この言葉は、どのような視点から捉えるかによって意味合いが変わって来ますが、現実の一側面として大変興味がある見方だと思い取り上げてみました。でも言葉としてはチョッと皮肉っぽくって、あまり良い響きではありませんね?ま、そこは我慢してお聞きください。

 スポーツ等で「ファインプレー」「美技」と呼ばれるプレーがありますよね。これを辞書で引くと何と出ているのか知りませんが、本来「並みの技量では困難な技を達成すること」を意味していると思います。一流プレーヤーの集まりであるプロスポーツの世界では、彼らは皆、元々から並みの技量の持ち主ではありませんので、彼らが為せる業は全てがファインプレ―であり、彼らが絶賛するプレーなら、さしずめそれは「超ファインプレー」と言うことになるのでしょうか?

 もうお分かりでしょう?私が何を言いたいのか。あははは。そう、そうなんです。ファインプレーって何を基準に言うのかで随分とその絶対的な価値観が違うってことなんです。ん?また「絶対」と「相対」の話か?・・・・ですか?ま、そう言えなくはありませんが、今日は視点を変えてその言葉には拘らずにお話しましょう。あははは。

 ファインプレーに限らず、物事を形容する言葉は、何かを基準にして表現していますよね?普通はその基準を「並みの」「一般的な」「平均的な」といった標準的価値や技量に置いていると言って良いでしょう。

 しかし問題なのは、現実にはその基準値が曖昧であるという点です。また人の能力判定の困難さには、その結果が「能力が有りながら手抜きをした結果」なのか、「最善の努力をした結果」なのかが判然としないという点もあります。

 その人が手抜きをしてるか否かを別にしても、経験則に照らして、一般的に達成困難と思われる技を達成すれば、人はこれを驚きと賞賛を持ってファインプレーであると評するはずです。これには誰もが異論を唱えることは無いでしょう。ところがところが、皮肉なことに、下手な人は「何をやってもファインプレーに見える」ということも半面の事実としてあるのです。

 ・・・・・・つづく
                                           By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-05-30 12:25

(続々)食肉動物って?

それでも、人々が自然と対峙し自らの手で食料を確保してた時代には、人間と動物は現代よりもずっと対等な立場にいて、必要最低限の行為として食肉行為が行なわれていたような気がします。自然の摂理として許される範囲だったと思います。

 何時の日か人間社会の発達と共に人間の優位性は極端に高くなり、食肉産業が生まれ、食肉目的でその動物を飼育する酪農家にとっては、動物たちは農作物と変わらない境遇に置かれる様になりました。鶏も豚も牛も、それ以外の動物でも、食肉用として牧場と言う形で大量に飼育される場合は皆同じです。まるで畑の野菜のように飼料を与えられ、効率良く生育を促され、生育速度が鈍化した時点で収穫されるのです。しかも愛されながら・・・。う~~ん。なんと言う矛盾。

 僕は現実を知り尽くした年寄りですし、聖人でも君子でも宗教家でもないから、動物の生命の尊厳を語る気はありませんが、生物が好きで、取り分け動物が好きで、動物園の園長になることを夢見ていた少年期を過ごし、その結果として大学で生化学を学ぶことになったこともあるので、食肉動物の置かれた現実の厳しさには居たたまれない思いをする事があります。

 その年になって、何を今更感傷的なことを言うんだ!・・ですか?あははは
そうですよね!・・しかし、狂牛病に続き鳥インフルエンザが蔓延し、その対応策に追われるアジア各国のニュースを見るにつけ、食肉動物の処分のされ方の異様さにはチョッと悲しくなります。

 鳥インフルエンザの拡大を恐れるあまり、世界中の様々な国々で飼育されていた鶏という鶏、ひよこ、卵まで、それが病気に感染しているか否か、その恐れがあるかを論議する間もなく、まるで腐った野菜を処分するように袋に放り込み、ブルドーザーで掻き集め、トラックに積み込んで処分して行く映像を見ますと、仕方が無いとは言え、人間のエゴや先進国の論理の異常さを感じずにはいられません。何時から鶏は人間にとってはジャガイモと同じになったのでしょう?あははは。そんなこと考える僕が変なのかな?

                                          By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-05-25 12:22

(続)食肉動物って?

(続)食肉動物って?

 食肉動物と言っても国によって随分と違うものですよね?その国の食文化や宗教上の戒律などとも関係があったりして・・・

 一般的には牛、豚、鶏、羊などが挙げられるのでしょうが、国によっては宗教上の理由で牛や豚を食べないとか、古来からの食文化としてこれ以外の動物も食肉動物として食べているのは良く知られています。

 食文化としては、アフリカやエスキモーなど牧畜が困難な厳しい環境では、様々な野生動物を食べて当然でしょう。

 海洋国の日本やノルウェーが鯨を食肉動物として来たのも自然な食文化の一つだったのかも知れません。
 
 石油時代の幕開けとなる近年まで、鯨油確保のために捕鯨はアメリカの主要産業で、鯨を絶滅の危機に追いやった張本人は当のアメリカではないかという人もいます。そのアメリカが、今では動物愛護の象徴的動物として鯨の保護を求めています。鯨を取り尽し、鯨油に代わった石油大国となったアメリカがヒステリックに野生動物保護を正義の如く謳い、日本の食文化を野蛮として否定するという彼らの主張には、少なからず違和感を感じずにはいられません。

 少し前にはワールドカップが行なわれた韓国でも、犬を食肉動物としていることに国際的非難が集まりました。

 それぞれの国の食文化は、その国民の歴史と文化に裏打ちされたものだけに、他国の国民がこれに口を挟んだり批判したりするのはとても難しい問題と言えるでしょう。

 人は動物を、命を脅かす敵として対峙する一方、古来から家畜として生活の身近な場所に置いて、貴重な労働力として、愛玩動物として、時には友人として、そして食料として来ました。

 その動物を自分たちの都合で敵や味方に色分けしたり、種類により役割を定めて使い分けているというのも随分と身勝手な話ですが、家畜に至っては、普段はそれを労働力の担い手や愛玩動物として飼育しながら、必要とあらば食肉用として処分してしまうというのも考えてみれば奇妙な感情ですよね?

・・・・・・つづく 
                                         By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-05-20 12:18

食肉動物って?

 鳥のウィルス感染が世界各地で拡大中です。これ以前には狂牛病騒ぎがありました。今回の狂牛病騒ぎは、元々発症頭数も数頭程度と非常に少なく、その後の発生事例も殆ど無いことから話題としては下火になりました。しかし、これだって未だに明確な発生原因や感染経路も特定できず、更には検査の手法を巡ってアメリカと対立が続いて、輸入の禁止措置は当面解除されそうも無く、そう簡単には牛肉不足問題は収まりそうも無いですね。

 それに追い討ち掛ける様に表面化したのが鳥インフルエンザウィルス問題です。これも数年前からアメリカなどでは発生事例は報告されていて、その都度食肉の一時的禁止措置が行なわれていましたが、発生場所が感染拡大の危険性が少ないアメリカであったことから、あまり注目されませんでした。

 しかし今回は昨年のSARS騒ぎの中心の中国、東南アジアを中心に局部的ではありますが鶏に大量の感染事例が発生し、表面化しました。更には人間への直接感染例も疑われ、豚を介した人への感染までもが問題になりつつあります。過去には鳥インフルエンザが人へ感染し、スペイン風邪、香港風邪などといった世界中で大量の死者を出した事例もあるので深刻に受け止められていますね?

 狂牛病騒ぎも鳥インフルエンザウィルスも、人間に感染若しく発症要因をもたらすと言う点で恐れられているのですが、その一方で、この問題は、資源の廃棄のみならず消費の減退も招き、経済的損失も大きいと言う点も困り者です。

 でも実は狂牛病とインフルエンザ・ウィルスは、原因も問題の本質も対処方法も全く違ったもので、一緒に論ずることは出来ないんです。そういうことに興味がある方は、狂牛病って?プリン体って?ウィルスって?インフルエンザって?などなどと調べてみては如何でしょう?今何が問題になっていて、何が危険でどう対処すべきなのか?知れば知るほどマスコミが報じている内容や各国が取っている対応が如何に政治的で、本質から外れているか、などが解るかも知れませんよ~。あははは
 勿論、何もかも全てが分らなくてもいいのです。知ろうと努力するだけで、それまでの自分の知識や認識がこれほどまでに違っていたのか?と思ったりします。それだけでも進歩かもしれませんね?そんな暇は無い?そりゃそうかも・・失礼致しましたぁ~

 閑話休題:さてさて、いつも人と違った視点から覗き込む癖のある純一郎としては、この問題を「食肉動物って?」という視点から独り言を言ってみようかなぁって思ってます。勝手にしろ?あはは。

 ありゃりゃ!本題に入る前に話が長くなりすぎました。続きは次回に!ええっ!うそ~~~っ!もう終わりか・・ってか??

                                    By 純一郎
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# by m_tanijyun | 2004-05-10 12:22

ゆっくり早く?

 皆さんも子供の頃、「食べ物はゆっくり噛んで、よく味わって食べなさい」と言われたことがあるでしょう?でも、その反対に「ダラダラ食べていないで、さっさと食べてしまいなさい!」と言われたこともある筈です。「ゆっくり食べろ!って言ったり、さっさと食べろ!って言ったりするけど、一体どっちなのさ!」なんて思ったりしませんでしたか?あははは

 これらは一見矛盾した言葉のようでいて、どちらも大切な考えを持った躾ですから、決して矛盾した言葉として吐かれたものではありませんよね。しかし、まあ、社会経験の少ない幼児が、こうした親の言葉の矛盾に面喰うのは当たり前かも知れません。

 学校で勉強することの多くには、こうした白黒、善悪、右左、正解・不正解といった二者択一的な答えが用意されていて、学生の間はテストのたびに、そのどちらかを選択することに慣らされてしまいますので、社会に出た途端、現実社会に於ける選択肢の多さに、若者の多くは少なからず面喰うものではないでしょうか。

 しかも、一見正反対の選択肢のどちらを選択しても不正解であると指摘されたりすると、殆ど驚愕し、思い悩み、混乱するということになるのではないでしょうか。あははは

 これまでにも、私の独り言として「絶対と相対」「動的平衡」「常識って?」などなど、物事の持つ多面性を主題に取り上げてきました。「完成って?」も同じ主題を抱えています。「完成って?」は、もちろん「作業を終えて完成と見なすべき時とは何を持って判断するのか?」、「拙速(下手でも早く仕上げる)であるべきか、時間を掛けても完璧を目指すべきか」という主題でしたが、正解は何だったのでしょう?

 物事の多面性という現実を現実として冷静に受け止め、「その現実に如何にバランス良く対応して行けるか」と言うことこそ、人間が子供から大人になる時に通り抜けなければならない大きな関門であると言っても良いのではないでしょうか。

 「完成って?」もそうですが、現実社会での選択肢は無数にあり、「一見矛盾し、全く正反対の両極にある」選択肢のどちらも正しく、可能な限りその両者を同時に満たさなければならない局面が意外と多いものです。「あちらを立てればこちらが立たず」と思い悩むのもそのせいですし、それを上手に解決することこそが仕事そのものと言って良いでしょう。

 仕事は、客観的評価(期待値)に耐え得る「完成度」を「必要とされる時間内」で達成しなければなりません。必要なことは手を抜かず、充分な時間と手間を惜しまず、如何に無駄な時間や自己本位の興味を切り捨てられるかが大切ではないでしょうか。まさに「ゆっくり噛んで、素早く食べる」の極意でしょうかね。あははは

でもこれって・・・プロなら誰でもやってることかも・・人気のラーメン店は「旨い」「安い」「早い」を実現してる・・・・見習わねば!僕もがんばろっと!

                              By 純一郎  
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# by m_tanijyun | 2004-05-01 12:14