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似て非なるもの?

 偽物、贋作と言うと、ブランド品、骨董品等といったものや、絵画、彫刻のようなものが直ぐに思い浮かびます。これらの偽物が生み出される要因は沢山ありますが、端的に言えば、本物と言われるものが、希少価値や需給バランスが生み出す付加価値により、実質的価値(材料費や加工費)を大幅に上回る過大な経済的価値を生み出しているからでしょう。

 人間にとって物の価値とは何なのか?については実に面白いテーマですので、何時か別途テーマに取り上げて見たいと思いますが、偽物とは、そもそも本物に似せて作られたもののことですから、まさに「似て非なるもの」という今回のテーマにピッタリです。

 しかし今回の独り言のテーマの「似て非なるもの」とは、必ずしも有形のものとは限らず、無形のものも含まれます。無形のもので「似て非なるもの」とは、例えば「親切」と「お節介」みたいなものです。あははは。

 しかし、これら「似て非なるもの」であっても、有形無形に拘わらずに共通して言えるのは、「本質は同じものであるが、人間がその評価を変えているもの」と、「外観は区別し難いほど似ているが、本質が全く違うもの」とがあると言うことです。

 子供たちが履いている靴を高く蹴り飛ばし、その裏表で明日の天気を占ったのと、気象庁の予報士が様々な気象データーを基に予測した結果が同じであったり、ある人が偶々選んだデザインや壁紙の色の組み合わせが一流のデザイナーのそれと一致したからといって、気象予想士やデザイナーの評価が下がったり、靴を投げた子供や偶々適切なデザインを選んだ人の評価が過大に上がることはありませんよね?
 
 では、猿や象などに絵筆を持たせたりして描かせた絵と、人間が描いた絵が極めて似ている時、その芸術的価値をどう評価すべきなのでしょう?
 また反対に、「書の達人が描いた、たった一本の線、或いは点」や、「人間国宝の陶芸家が柄杓に掬った上薬で瞬時に描いた模様」の価値と、「前衛芸術家と言われる人たちの、明らかに偶発を期待して生み出した作品」の価値は同格と言えるのでしょうか?

 よくよく考えれば、身の周りにも、この「似て非なるもの」がいっぱいです。日常生活にも、ビジネスにも、人間関係にすら本物に見せかけた偽物が潜んでいそうですよね?あははは。 

 さてさて、皆さんはこの問題如何お考えでしょう?・・ってことで、この話の続きは、またという事にしましょう。

                                           By 純一郎
# by m_tanijyun | 2004-07-20 13:48

(続)切れるって?

 僕らの世代では、「切れる」と言ったら普通は「頭の回転が速い」ことを言いましたよね?「切れ者」という言葉があるくらいですから・・・・。

 日本のミュージシャンの世界では、理性が働いて感性が押さえられている状態から、演奏が興に乗ってくると「吹っ切れて」急激に一段高い別人のような演奏状態になることを、結構古くから「切れる」と言ったりはしていたようです。ただしこれは、いわゆる、業界用語とか隠語とか言われる使われ方です。

 これもどちらかと言うとマイナスイメージよりも、むしろ良い演奏状態を指していましたが、最近の若者たちが普通に使う「切れる」は、確かに同じように理性が感情を押さえられない状態を指してはいますが、どういう訳か何時の間にか意味が変わり、「堪忍袋の緒が切れて、怒り狂う状態」を指して使い始めました。これをまたバカなマスコミ連中が流行らせ、今では一般に使われ出したようです。・・・(あはは、オジンの僻みって言われそうだ)

 それはさておき、僕はできるだけ若い時期にいわゆる修身教育を受けることが必要だと思っています。今の日本には、戦前の様々な間違った抑圧への反省から、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」の風潮が強く、良かろうと必要であろうと、「戦前に行なわれたものは全て悪である」と言った極端な考えに固執している人間が、悲しいかな非常に多いように感じます。

 これがまた教育者やマスコミ関係者に多く、それがまた新興宗教かオカルト教団のように、問答無用で狂信的な輩も少なくなく、「道徳教育の必要性」などを解こうものなら「戦前の教育の復活」とばかりに大騒ぎする始末です。「言論の自由」とか「報道・表現の自由」とかも被害妄想的に騒がれるのも辟易とします。

 まあ、ある意味では、それほど戦前の教育や政治による犠牲者が多く、それだけに拒否反応が強いと言うことだけは否定できません。

 しかし、だからと言って無秩序であっていい筈はありません。何事もそのもの自体の良し悪しよりも、それを解釈し運用する人間の側に問題があるに過ぎないのですから。

 それが何であれ、戦後の日本人は半世紀近くも特定の宗教的な規範も無ければ、道徳的規範も持ち得ないで過ごしてきてしまったのです。それでも今まで何とかやって来れたのは、たまたま経済復興という共通の目標と、その実現が人間の基本的欲求本能を満たし続けてきたことから、不平不満がその影に覆い隠されて来ただけなのでしょう。

 そう言った意味から、少なくとも日本人にとっては今こそ修身教育が絶対に必要だと思うんです。物質文明が加速度的に進み、その方向が単なる道具の開発から思考領域に踏み込んで来つつある時代です。こんな時代だからこそ心を磨き、鍛え、本質を見失わない思考の方向性を保つことが必要ですし、そのためには善悪の規範となる道徳や修身の教育が絶対に必要ではないでしょうか?

。。と、チョッと過激発言の純一郎でした。・・・その前に教師の質の向上の方が問題かも・・・・

                                          By 純一郎
# by m_tanijyun | 2004-07-10 13:39

切れるって?

 つい最近も、子育てが嫌になった母親が、こともあろうに2歳児を車から降ろして、自ら運転する車で轢き殺そうとしたと言う事件が報道されました。近頃毎日のように報道される悲惨な事件は、決して特殊な病気や性格異常者の仕業と言うより、事件を起こすまでは普通の生活を送っていた平凡な小市民であることが多いのにも驚きます。そしてその背景には決まって、普通なら取るに足りない些細な切っ掛けと短絡的な感情の爆発があるように思います。

 この感情爆発のことを近頃は単に「切れる」と言うそうですが、何故近頃の人は、どうしこれほどまでに易々と堪忍袋の緒を切ってしまうのであろうかと悲しくなります。何事もなかなか思い通りにならないのが当たり前であった世の中が、近年になって加速度的に、何でも簡単に実現出来、思い通り行って当たり前の時代になった来たから、結果として、現代人は我慢が苦手となり、思い通りとならないことへの不満が「感情爆発」を生み出しているとも言えます。

 また、これらのどちらかと言うと攻撃的(外向き)な感情処理も目立ちますが、その一方で、離婚や自殺と言った人間関係の否定や自己否定のような内向的な事件も、過去とは比べ物にならないほど激増しているそうです。聞くところによれば、近年の日本の、年間の自殺者数が何と3万人を超えると言うから驚きです。

 こうしてみると、総じて言えば人間はどんどんと「我慢」したり「耐える事」が苦手になって行くようにも思えます。昔は「苦労は買ってでもするべし」と言いましたが、今では「苦労」とか「勤勉」とかいうそんな価値観も消え去って行ってしまうのでしょうか?
 今の利潤至上主義の経済社会では、そうした考えは古臭くて、無駄で、格好が悪いもの、価値の低いものであって、可能な限り排除し、改善するべき対象のものと言う考え方が一般的になってしまったのかも・・・
 
 あらら?なんだか愚痴っぽくなっちゃっいましたね?
 
 しかしながら、このような悲劇的な事件を耳にするたびに、現代人の「心の脆さ」を感じずには居れません。

 肉体と同様、心だって鍛えなければ強くはならない筈です。己の心に鞭打って、ともすると安易な方向に向かい勝ちな気持や、感情に任せた判断や行動に走らせないという強い意思や心を育てることが、短絡的な「感情爆発」を押さえることの出来る「唯一の処方箋」ではないでしょうか?

 克己心と言う言葉がありますが、こんな時代だからこそ、「己に打ち勝つ強い心」を育てる必要があると思います。社会や時代のせいにしても何も解決しないでしょう。心の問題は結局のところ各自の責任ですし、心身の鍛練は絶対に一朝一夕には為し得ません。やはり出来るだけ小さい時からこうした努力を積み重ねる必要があることを考えますと、親の責任も重大です。高度な知識を伴う教育や情操豊かな環境も大切ですが、こうした雑草のような強靭な心だって大切ではないでしょうか?・・・・って、最後はチョッと感情論も入るんですが、こうした事件を起こす人間に、未熟さや軟弱さ、幼稚さや甘えを感じるのは僕だけでしょうか・・・・あははは。おいおいおいって?ちょっと感情的過ぎるかな?うんうん!そうそう冷静に、冷静に・・・・ですよね?ともあれ、年寄りの私としては、次代を担う若者たちに「自制心」「克己心」「逆境や困難に打ち勝つ強い心」といった心を、是非ともしっかりと鍛えて欲しいと願うばかりです。

                                           By 純一郎
# by m_tanijyun | 2004-07-05 13:34

(続々)冷静な判断って?

 不況時の一つの特徴として、ギャンブルの流行や詐欺事件の横行が良く挙げられます。う~ん、確かに人は経済的に追い詰められたりすりと、どうしても一攫千金に期待したくなるものですよね?また詐欺を働く人間にも、どこか濡れ手で粟というか一攫千金的な考えが窺えますし、騙される側にも、矢張りどこか甘い期待をしていたという安易な気持が窺えます。

 思い通りにならない時、大きく期待を裏切られた時、それに限らず著しく感情に激した時などには、普通なら絶対に踏み越えない一線を、いとも簡単に踏み越えてしまい、自分でも思いもよらない行為に及ぶことすらあります。

 冷静さを失うという事は、このようにとても恐ろしいことです。冷静な人から見れば、或いは事件を起こしてしまった当のご本人ですら、冷静になってみれば、まさに「正気の沙汰ではない」とか「常軌を逸した」という行為を、平気でやってのけてしまうのですから・・。

 冷静な判断とは、所謂「理性」が感情を押さえ、コントロールし、現実を正確に観察・分析し、甘い罠に隠された凶器や毒の存在を見抜いてくれるからこそ実現できるものなのでしょう。だから、「元々確率の低い勝負をしてるのだから、それ以上冒険すると元も子も無くなるぞ!」とか「そこまでやったら犯罪行為だ!どんなに頭に来ても、どんなに苦しくても犯罪には手を染めるまい」とか「チョッと待てよ!・・そんな甘い話は無いぞ!」といった理性の壁やハードルとなって働いてくれて、冷静であればあるほど強い抑止力となってくれるのではないでしょうか?

 ところがどうでしょう。前にお話した麻雀の例でもそうですが、どんなに知識や教養があっても、どんなに深い洞察力や緻密な思考力を持った人間であっても、ひとたび追い詰められ、冷静さを失うと、この理性の壁やハードルが脆く低いものとなり、苦境を脱したいという願望や甘い期待がコントロール不能なほど大きなエネルギーの塊となって、抑止力を一気に吹き飛ばしてしまうのです。

 その結果として、冷静さを失った人は、信じ難いほど低い確率の勝負に平気で挑んでしまったり、モラルを踏みにじり、犯罪にすら手を染めてしまうのではないでしょうか? こうして考えてみますと、心の健康があってこそ初めて、冷静で、より良き判断が出来るものとの思いを強くします。

 う~~ん、僕も近頃怒りっぽくなったからなぁ~・・・気をつけなくっちゃ冷静に、冷静に・・・と。。。ん?そりゃ歳のせいだろって?
  
                                         By 純一郎
# by m_tanijyun | 2004-06-30 13:33

(続)冷静な判断って?



  学生時代の私は、覚えたての麻雀にかなり嵌まった時期がありました。麻雀をやった事がある方なら誰しも経験があると思いますが、麻雀は4人でやるゲームなのでそれ以上の人数が集まると、余った人は待機していて、2抜けと言って対戦で2位になった人と交代する事が多いのです。(余談ですが、これはトップやビリの人が交代に回ると、トップの人を倒す機会や、ビリの人が負けを取り戻す機会を奪う事になるので、バランスを保つ為に考え出された優れたルールなんです。あははは)

 閑話休題:(って・・何時も話が脱線する・・)とほほほ。
 ゲームに参加できず、待機に回って他人がプレイしているのを見るのも結構勉強になるものです。一人一人のプレーヤーの癖や性格、戦略の組み立て方なども分りますし、上級者からは、麻雀と言うゲーム自体の戦略や戦術も学べます。そこでいろいろな事を学びましたが、人間の判断と言うものがこれほど感情の起伏と係わりがあると思い知らされた事はありませんでした。

 ある先輩のゲームを見学させて貰って居た時の事です。彼は頭脳も明晰で麻雀の経験も豊富で、何時もの通り素晴らしいゲーム運びと戦術で、着々と点数を増やして行きました。彼の麻雀と言うゲームを知り尽くした戦略は完璧で、瞬時の判断力の確かさに驚かされたものです。

 ところがところが、ゲームとは不思議なもので、有り得ないほどの偶発が重なり、殆ど初心者のような人が信じられないほど低い確率の牌を引いて上がり続けることもあるのです。するとどうでしょう、負けが込んできた先輩のゲーム運びに変化が生じてきました。そして、これがあの頭脳明晰で戦略戦術に長けていた先輩か?と思うような手を打つようになったのです。

 人間とは脆いものです。冷静さを失った途端に判断力に狂いが生じたと言う訳です。彼の基本的能力からすれば、一時的なスランプや逆境は、長期的視点に立てば慌てずとも回復可能なのは、冷静な第三者から見れば火を見るより明らかです。それにも拘らず、冷静さを失った人は、彼のように無意識の内に起死回生を期待し、確率の悪い戦術を選択してしまうものなのでしょう。当然のことながら、私も同じ情況に陥れば同じような手を打ってしまうのだろうなぁ~と思い知らされました。

 この話はまだまだ続きます~♪・・って勝手にしろ!ですか?あははは。

                                           By純一郎
# by m_tanijyun | 2004-06-25 13:31